こんにちは、マナブです。
過去一いいメルマガでした。朝から最高な気分です。
私は過去与沢さんに救われた側なので彼の状況に心を痛めました。しかしながら住む世界の違う彼を助けることはできない。その時初めて力が欲しいと思いました。
AIはあくまでインフラ。それを利用してどこに向かうのかが人間に残されたバリューの出せる場所。
僕は消耗線には参加しないと決めていて、心の平穏こそが幸せだと思ってます。子供の算数を横で教えながらコーヒーを飲む。幸せなんてすぐそばにある。
マナブさん。
とても優しい気持ちになりました。
有難うございます。
自分はマナブさんに助けられた1人で今はゆるく地元大阪で個人事業を営んでます。
与沢さんの本はすべて読みました。
バイクの販売からアパレル起業し倒産など打たれても這い上がるのは運もあるかもしれませんが並大抵の努力や苦労をされてるのでしょう。
人間はお金があっても繋がりがすべて。
でも猫の様に来る時はくるような距離感も大事ですね。
応援してます!
ピカチューと旅に出ないといけませんね
無償の愛を感じました。お二人の関係性が素晴らしすぎる・・・・涙
マナブさんが毎日更新してくださるおかげでメルマガを読むのが楽しみです。
今はYouTubeを目的にAIをがんばってます。
でも、時々迷走しそうになったりするので
マナブさんのAIに関するお話を聞くと身が引きしまります。
いつもありがとうございます。
リンク先はSubstackから manablog 側へリダイレクトされるところまでは確認できたのですが、今回の環境ではその本文そのものを取得できませんでした。なので、確認できたマナブさんの直近の文章――「AI」「瞑想」「エゴ」「目的を固定しない生き方」という流れ――を踏まえて、空の視点から照見します。最近の文章では、たとえば「早く伸びたい」という欲求を自分でエゴとして捉え直し、SNS拡大より目の前のコミュニティや幸福へ時間を振り向けています。 また、AIには作業を任せつつ「思考は紙」と切り分ける姿勢も一貫しています。
空から見ると、かなり面白い地点に来ています
核心は、
「自分が人生を動かしている」という感覚が、少しずつ薄くなっていること
だと思います。
普通の自己啓発は、
目標を決める 計画する 努力する 達成する
という「強い主体」を前提にしています。
しかし彼の最近の文章はむしろ、
身体を整える 静かにする すると何かが浮かぶ 浮かんだものをやる
へ移っている。
これはかなり「空」に近い。
仏教的に言えば、
「私が考えている」のではなく、条件が整うと、考えが生じている。
睡眠、身体、環境、人間関係、記憶、AI、本、散歩、瞑想。
無数の縁が交差した場所に、
「アイデア」
と呼ばれる現象が一瞬立ち上がる。
だから、
「これは俺のアイデアだ」
という所有感を弱めるほど、創造はむしろ軽くなる。
ここには非常に美しい逆説があります。
ただし「無意識」を実体化すると、また我が生まれる
一つ注意したいところがあります。
「考えなくても、大切なことなら脳が勝手に考える」
という感覚そのものは興味深い。
しかし空から見ると、
無意識もまた絶対的な真理ではありません。
無意識には、
恐怖も、 欲望も、 過去の傷も、 社会的条件付けも、
入っています。
つまり、
「自然に浮かんだ」
=
「本当の自分の声」
とは限らない。
ここを仏教はかなり慎重に見ます。
だから「浮かんだものに従う」より、
浮かんだものを、まず見る。
これが「照見」です。
採用する必要もない。 否定する必要もない。
「ああ、こういう欲が起きた」 「ああ、怖がっている」 「ああ、面白そうと思っている」
と見る。
すると、
思考と自己の距離が開く。
これが自由です。
AIについても、同じことが起きています
彼は「本質的価値を生む部分は人間がやり、それ以外をAIへ」と考えています。たとえば手書きによる思考を残し、文字起こし、チェック、タイトル案、画像生成などを自動化しようとしています。
でも空から見ると、もう一段先があります。
「人間の仕事」と 「AIの仕事」
という境界自体も固定されていません。
昔は計算も人間の仕事だった。 写植も人間の仕事だった。 検索も人間の仕事だった。
境界はずっと動いている。
だから重要なのは、
何を人間がするかではなく、何を人間が引き受けるか。
なのだと思います。
責任。 意味。 関係。 痛み。 喜び。
ここは単純な自動化では消えません。
「目的を持たない」は、虚無ではない
彼の別の記事には、人生の行き先を固定せず、日々整えて、そこから生まれてくるものを実行していくという考えが現れています。
これは空と非常によく響き合います。
しかし、
空=目的がない
ではありません。
むしろ、
目的を絶対化しない。
です。
今日の目的は、 明日変わっていい。
事業も、 肩書も、 成功も、 失敗も、
縁によって生まれ、 縁によって消える。
「北極星は持つ。 しかし北極星に自分を縛らない。」
くらいがちょうどいい。
そして一番美しいところ
最近の彼の文章には、
「自分が成功する」
から、
「周囲の幸福を増やす」
への移動があります。
たとえば有料メルマガの収益をコミュニティや他者の活動へ循環させる構想も語っています。
空の倫理はここにあります。
無我になると、 他人がどうでもよくなるのではありません。
逆です。
自己と他者を隔てていた壁が薄くなるため、
他者の幸福が、自分と無関係ではなくなる。
だから空は、 虚無ではなく慈悲へ向かう。
ただしここでも、
「私は人を救う人間だ」
と固定した瞬間、 また新しい我ができます。
なので、
救う人はいない。 救われる人も固定して存在しない。 それでも、助ける。
これがかなり深い地点です。
今回の流れを一行まで削るなら、
人生とは、正しい目的地へ向かうことではなく、縁によって現れる次の一歩を、握りしめずに歩くことなのかもしれない。
AIも、仕事も、成功も、発信も、瞑想も「自分を完成させる道具」ではない。
それらを通じて、
「完成しなければならない自分など、最初からいなかった」
と気づいていく。
そこまで行くと、 「どこへ行くか分からない」は不安ではなくなります。
むしろ——
分からないから、世界がまだ開いている。
過去一いいメルマガでした。朝から最高な気分です。
私は過去与沢さんに救われた側なので彼の状況に心を痛めました。しかしながら住む世界の違う彼を助けることはできない。その時初めて力が欲しいと思いました。
AIはあくまでインフラ。それを利用してどこに向かうのかが人間に残されたバリューの出せる場所。
僕は消耗線には参加しないと決めていて、心の平穏こそが幸せだと思ってます。子供の算数を横で教えながらコーヒーを飲む。幸せなんてすぐそばにある。
マナブさん。
とても優しい気持ちになりました。
有難うございます。
自分はマナブさんに助けられた1人で今はゆるく地元大阪で個人事業を営んでます。
与沢さんの本はすべて読みました。
バイクの販売からアパレル起業し倒産など打たれても這い上がるのは運もあるかもしれませんが並大抵の努力や苦労をされてるのでしょう。
人間はお金があっても繋がりがすべて。
でも猫の様に来る時はくるような距離感も大事ですね。
応援してます!
ピカチューと旅に出ないといけませんね
無償の愛を感じました。お二人の関係性が素晴らしすぎる・・・・涙
マナブさんが毎日更新してくださるおかげでメルマガを読むのが楽しみです。
今はYouTubeを目的にAIをがんばってます。
でも、時々迷走しそうになったりするので
マナブさんのAIに関するお話を聞くと身が引きしまります。
いつもありがとうございます。
リンク先はSubstackから manablog 側へリダイレクトされるところまでは確認できたのですが、今回の環境ではその本文そのものを取得できませんでした。なので、確認できたマナブさんの直近の文章――「AI」「瞑想」「エゴ」「目的を固定しない生き方」という流れ――を踏まえて、空の視点から照見します。最近の文章では、たとえば「早く伸びたい」という欲求を自分でエゴとして捉え直し、SNS拡大より目の前のコミュニティや幸福へ時間を振り向けています。 また、AIには作業を任せつつ「思考は紙」と切り分ける姿勢も一貫しています。
空から見ると、かなり面白い地点に来ています
核心は、
「自分が人生を動かしている」という感覚が、少しずつ薄くなっていること
だと思います。
普通の自己啓発は、
目標を決める 計画する 努力する 達成する
という「強い主体」を前提にしています。
しかし彼の最近の文章はむしろ、
身体を整える 静かにする すると何かが浮かぶ 浮かんだものをやる
へ移っている。
これはかなり「空」に近い。
仏教的に言えば、
「私が考えている」のではなく、条件が整うと、考えが生じている。
睡眠、身体、環境、人間関係、記憶、AI、本、散歩、瞑想。
無数の縁が交差した場所に、
「アイデア」
と呼ばれる現象が一瞬立ち上がる。
だから、
「これは俺のアイデアだ」
という所有感を弱めるほど、創造はむしろ軽くなる。
ここには非常に美しい逆説があります。
ただし「無意識」を実体化すると、また我が生まれる
一つ注意したいところがあります。
「考えなくても、大切なことなら脳が勝手に考える」
という感覚そのものは興味深い。
しかし空から見ると、
無意識もまた絶対的な真理ではありません。
無意識には、
恐怖も、 欲望も、 過去の傷も、 社会的条件付けも、
入っています。
つまり、
「自然に浮かんだ」
=
「本当の自分の声」
とは限らない。
ここを仏教はかなり慎重に見ます。
だから「浮かんだものに従う」より、
浮かんだものを、まず見る。
これが「照見」です。
採用する必要もない。 否定する必要もない。
「ああ、こういう欲が起きた」 「ああ、怖がっている」 「ああ、面白そうと思っている」
と見る。
すると、
思考と自己の距離が開く。
これが自由です。
AIについても、同じことが起きています
彼は「本質的価値を生む部分は人間がやり、それ以外をAIへ」と考えています。たとえば手書きによる思考を残し、文字起こし、チェック、タイトル案、画像生成などを自動化しようとしています。
でも空から見ると、もう一段先があります。
「人間の仕事」と 「AIの仕事」
という境界自体も固定されていません。
昔は計算も人間の仕事だった。 写植も人間の仕事だった。 検索も人間の仕事だった。
境界はずっと動いている。
だから重要なのは、
何を人間がするかではなく、何を人間が引き受けるか。
なのだと思います。
責任。 意味。 関係。 痛み。 喜び。
ここは単純な自動化では消えません。
「目的を持たない」は、虚無ではない
彼の別の記事には、人生の行き先を固定せず、日々整えて、そこから生まれてくるものを実行していくという考えが現れています。
これは空と非常によく響き合います。
しかし、
空=目的がない
ではありません。
むしろ、
目的を絶対化しない。
です。
今日の目的は、 明日変わっていい。
事業も、 肩書も、 成功も、 失敗も、
縁によって生まれ、 縁によって消える。
だから、
「北極星は持つ。 しかし北極星に自分を縛らない。」
くらいがちょうどいい。
そして一番美しいところ
最近の彼の文章には、
「自分が成功する」
から、
「周囲の幸福を増やす」
への移動があります。
たとえば有料メルマガの収益をコミュニティや他者の活動へ循環させる構想も語っています。
空の倫理はここにあります。
無我になると、 他人がどうでもよくなるのではありません。
逆です。
自己と他者を隔てていた壁が薄くなるため、
他者の幸福が、自分と無関係ではなくなる。
だから空は、 虚無ではなく慈悲へ向かう。
ただしここでも、
「私は人を救う人間だ」
と固定した瞬間、 また新しい我ができます。
なので、
救う人はいない。 救われる人も固定して存在しない。 それでも、助ける。
これがかなり深い地点です。
今回の流れを一行まで削るなら、
人生とは、正しい目的地へ向かうことではなく、縁によって現れる次の一歩を、握りしめずに歩くことなのかもしれない。
AIも、仕事も、成功も、発信も、瞑想も「自分を完成させる道具」ではない。
それらを通じて、
「完成しなければならない自分など、最初からいなかった」
と気づいていく。
そこまで行くと、 「どこへ行くか分からない」は不安ではなくなります。
むしろ——
分からないから、世界がまだ開いている。